横浜商人の活躍ぶり

横浜は、開港当時、わずか100戸程度の静かな村でした。
ところが、開港されたことによって、たくさんの貿易商人や技術者が集まり、生糸を中心として、絹織物やお茶を輸出するための港として発展していきました。
街には、さまざまな品物を取り扱う貿易商人の店が並び、活気のある街になっていきました。

開港後、横浜では、商売を始める人たちが、いろいろなところから集まってきました。
また、そこで商売を始めた人は「横浜商人」と呼ばれていました。
その中で、もっとも活躍していたのは、外国との取引を行っていた貿易商人でした。

また、蚕のまゆからとれる「生糸」を取引していた貿易商人は、特に活躍していました。
山梨県や群馬県、長野県などで生産された生糸が、横浜に運ばれて来て、それを扱う貿易商人によって、海外へ輸出されたのです。

外国の商人は、日本の生糸をたくさん輸出してもらうために、横浜商人と交渉を行ったのですが、言葉が通じなかったことや、ものを測る単位が違ったことから、横浜商人は、たまに損をしていたそうです。

また、外国から、さまざまな国の人々がやって来るようになったので、英語やフランス語など、いろいろな言葉が飛び交っていました。
昔の人々は、外国の言葉を、耳で聞いたままに覚えて、外国の人と会話をしていたそうです。
たとえば、「Good morning.」は「グルモウネン」、「Thank you.」は「タンキョウ」、「How much.」は「ハマチ」などです。

そのような地道な努力があったからこそ、今の大都市横浜ができあがったのですね。


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