苦難を乗り越えて

横浜は、開港してから、世界につながる港として、大きく発展していきました。
ところが、その道のりは険しく、関東大震災、戦争、連合軍の占領、・・・とさまざまな苦難が、横浜にもあったのです。

1923年9月1日、横浜を、マグニチュード7.9という大地震が襲いました。
開港以来、60年間に渡って築いてきた横浜の街は、この大地震と、それによる火災によって、大被害を受けてしまいました。
ところが、そんな中でも、奇跡的に、開港記念館の時計塔は、壊れることがありませんでした。
多くの市民が、その立派な姿に、勇気付けられたのです。

震災によって崩れた建物のがれきを集め、それで海を埋め立ててでき上がったのが、「山下公園」です。
この山下公園を会場として、1935年3月〜5月の期間、「復興記念横浜大博覧会」が開催されました。
山下公園の前に、大きないけすを造って、鯨を泳がせた「生鯨館」や、アメリカをはじめ、いろいろな国のパビリオンに人気を集め賑わいました。
来場者は、300万人にも上ったそうです。

戦争時の横浜は、1942年〜1945年に、連合軍によって、空襲に30数回もみまわれ、大変な被害を受けました。
そして敗戦と同時に、連合軍により、横浜港や横浜市内のあちこちを占領され、経済面でも大きな打撃を受けました。
現在でも、アメリカ軍の基地が市内に残っていますが、「深谷通信所」や「上瀬谷通信施設」などは、近い将来にはなくなって、日本に返ってくるそうです。

このような大変な苦難を乗り越え、ここまで発展したのは、当時の人々の努力があったからこそです。
横浜の街を支え続けてくれた人々のおかげで、現在の大都市横浜があるのです。


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